10月と言えばハロウィン。英語圏の大部分では綺麗なドレス、お菓子、カボチャのランタンのイメージですが、この伝統行事は世界各地でさまざまな形に姿を変えて行われています。今回は、古代ケルト人が起源のお祭りが場所によってどのように形を変え、その国特有の文化として根付いているのかを見ていきましょう。
ハロウィンの起源
ハロウィンの起源は古代ケルトの祭りであるサーウィンまで遡ります。これは秋の収穫を祝うために10月31日の日没から11月1日の日没まで行われる祭事で、現在でもアイルランド、スコットランド、ウェールズ、マン島、フランス北部とイングランド南部の一部のケルト人の間で祝われています。
ケルト人たちはサーウィンを霊魂が向こうの世界からこちらの世界へと行き来できる特別な期間であると信じていました。向こうの世界とは神々が住む世界で、それは死を意味するものでした。
また、ハロウィンはカトリック教会の祝日である「諸聖人の日」の前日に当たります。この祝日がさまざまな古代宗教の祭事と混ざり合うことで、今日のハロウィンはさまざまな形に変化してきました。
現代のハロウィン
今日でもスコットランドやアイルランドでは10月31日の夜に焚き火や占いを行ってサーウィンを祝います。他の国ではこの祭事は大きく変わりましたが、多くにはオリジナルのサーウィンの名残りがあります。
イングランドや米国では子供たちが幽霊やお化けの格好をして、近所の家を巡り、戸口で「トリック・オア・トリート」と尋ねることが慣習になっています。「トリック」はいたずら、「トリート」はお菓子のことです。ハロウィンを祝う家庭の軒先にはカボチャのランタンが飾られ、家主はお菓子をボウル一杯に用意して、仮装をした子供たちがやって来るのを待っています。
フィリピンでは11月2日の「死者の記念日」に子供たちが同じように近所を巡ります。この「パンガンガルルワ」と呼ばれるお祭りでは、子供たちはお菓子をもらったお返しに賛美歌を歌います。
お菓子からアルコールまで..
メキシコとスペインではハロウィンは「Díade los Muertos(死者の日)」という祝日として祝われます。仮装やお菓子は同じですが、欧州や米国の祝日とはひと味違い、人々は先祖の仮装(多くの場合、顔にはガイコツのペイントが施されます)をし、祭壇をテキーラや砂糖で作られたガイコツなどで華やかに飾ってこの日を祝います。
ハイチの「フェッテ・ゲデ(祖先の祭典)」では、先祖の墓地を訪れてロウソクの明かりのもとで唐辛子入りのラムを飲むのが慣習となっています。
祝宴とパレード
アジアの国々でもハロウィンは祝われています。多くのお祭りはハロウィンの起源であるサーウィンと同じように、食べ物や季節に強く結びついています。韓国では収穫を祝い祖先を敬う「秋日(チュソク)」が行われます。3日間のお祝い期間は日頃の感謝や先祖への敬意を表し、家族とともに過ごす時間になっています。
中国と香港では旧暦の7月7日から1か月にわたって「中元」と呼ばれる祭りが行われます。食べ物は祭りの主要な要素ですが、(食べ物をお供えするだけでなく)霊を楽しませるためのパレードやオペラなども行われます。
ネパールの「ガイジャトラ(牛祭り)」では、この1年で家族を亡くした遺族たちにより、故人の魂を天国へと導くとされる牛(または牛の扮装をした子供たち)が参加するパレードが行われます。
アイルランドではロンドンデリーで行われる「バンク・オブ・ザ・フォイル」が有名です。欧州最大のハロウィン・パレードで、こちらとあちらの世界の壁が薄くなるこの時期を祝うため、ドラム、ダンス、さまざまな仮装で溢れたお祭りが一週間にわたり毎晩繰り広げられます。
世界のハロウィン
他の多くの国々でも自国独自のハロウィンを祝っています。ポーランドでは、家族は「ザドフスキ(死者の日)」に祖先に敬意を払い、花、ロウソク、小さな贈り物を墓地に供えます。日本では「お盆」に家族の墓にお参りに行ったり、伝統的な踊りが行われます。カンボジアでは15日間にわたる「プチュン・バン」が行われ、家族と寺院や行楽地に出かけたり、死者のためのロウソクを灯したりします。
ハッピーハロウィン!
あなたの家庭ではどのようにハロウィンをお祝いしていますか? 厳粛で宗教的な行事? それとも、甘いお菓子を楽しむ日? コメント欄であなたの地域の伝統を教えてください!